【光る君へ】悲恋の皇女…藤原伊周 嫡男・道雅との恋を引き裂かれた「当子内親王(三条天皇女)」の生涯をたどる (2/3ページ)
翌長和2年(1013年)に精進潔斎した(まだ伊勢には下っていない)当子内親王は、当時皇位にあった父の三条天皇へ、託宣(神から託された言葉)という形で応援メッセージを送ります。
「多くの皇女が京都よりほど近い賀茂斎院となるのに、あなたは伊勢へ皇女を送りました。これは志の高いことです。皇位は18年続くでしょう(意訳)」
ほとんどあなたの感想というか希望的観測ですが、難病を患いながら藤原道長の譲位圧力と闘う父を、何とか励ましたかったものと思われます。
翌長和3年(1014年)にいよいよ伊勢へ下向。この見送りの儀式(別れの御櫛)において、天皇陛下も斎宮も振り返ってはならないというしきたりがありました。
しかし三条天皇は娘のけなげさに耐えがたく、つい振り返ってしまったのです。
これが神の怒りを買い、在位が短くなってしまったのでしょうか。
伊勢に下った後も「神宮に怪異はないので、御代は永く続くでしょう(意訳)」と励ましのメッセージ、もとい託宣を送り続けた当子内親王。
しかし願いも虚しく、神意すらものともしない道長によって、三条天皇は譲位させられてしまったのです。
時に長和5年(1016年)1月29日、当子は16歳でした。
