役者や商人、力士まで!多くの男と関係を持った江戸時代の絶倫すぎる大名の側室・お福の無惨な末路 (2/3ページ)
元禄12年(1699)に綱誠が病死すると、跡継ぎには吉通がなりました。お福は出家し本寿院と名乗り、吉通の母として藩の政治に介入し始めます。また、この時からお福の性欲は爆発し、男漁りに走りました。
役者や商人、力士と関係をつくったお福はお寺に宿泊や人形浄瑠璃の鑑賞といった理由で、町人や役者の選り好みをして気に入った者を呼び出しセックスしました。
また、お気に入りの力士も抱えていましたので、お福は体形や身分にかかわらず、自分の好みがいたら誘う性分だったことがわかります。
乱れるお福(イメージ)
お抱えの医師まで手を出す始末
そのように誰彼構わず行為に及んだので、お福は妊娠することが多々ありました。その際は尾張徳川家に仕えた医師・山本道伝の世話になっていました。
しかし、お福はあろうことか道伝とも関係を構築。道伝は最初こそはお福との関係を持っていましたが、いつしか江戸への下向命令に従わなくなり、関係は自然消滅しました。
幕府の目にとまった結果
お福の性に自由過ぎる行動は尾張徳川家の家臣だけでなく、江戸幕府からも目を付けられます。
そして、宝永2年(1706)に歌舞伎役者・生島新五郎の弟で歌舞伎役者の生島大吉との密会疑惑をかけられたことをきっかけに、江戸の四ツ谷屋敷に蟄居。