役者や商人、力士まで!多くの男と関係を持った江戸時代の絶倫すぎる大名の側室・お福の無惨な末路 (1/3ページ)
尾張徳川家の3代目徳川綱誠(とくがわ-つななり)には周囲から美貌を評価されていた側室・お福こと本寿院がいました。
しかし、美貌に反して性欲が異常に強かったことから『鸚鵡籠中記』(おうむろうちゅうき)には、「貪婬絶倫」(ひどく色を好み、性欲が旺盛な人)との評価を受けています。
果たしてどれ程までお福は性欲が強かったのでしょうか。今回は性欲の強さを表すエピソードを踏まえつつ、お福についてご紹介します。
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なんとピンチヒッターで将軍の側室に!幸運に恵まれた、徳川家定の母「本寿院」の生涯 尾張徳川家で絶大な発言権を持っていたお福は寛文5年(1665)に生まれます。出自に関しては、尾張藩士・坂崎義高や商人、大工の子といわれており、はっきりしておりません。
徳川綱誠の側室になってからは、後の尾張徳川家4代目・徳川吉通(とくがわ-よしみち)を含んだ2男2女を産んだことから、家中では絶大な発言権を持ちました。
