【光る君へ】藤原道長の三男・顕信の出家を導き、道長を仇敵の如く憎んだ「慶円」とは何者? (2/3ページ)
長年の功徳が認められた慶円は長徳元年(995年)に権律師(ごんのりっし)、長保2年(1000年)には権少僧都(ごんのしょうそうず)、長保4年(1002年)には大僧都に任じられます。
更に寛弘8年(1011年)には権僧正(ごんのそうじょう)、長和2年(1013年)には僧正、同年中に大僧正へと昇進していきました。
そして長和3年(1014年)には天台宗のトップである第24代天台座主(てんだいざす)となったのです。
合わせて法性寺座主(ほっしょうじ)や普門院別当(ふもんいんべっとう)も務めました。
しかし寛仁3年(1019年)に病を理由として一線を退き、同年中に世を去ります。享年76歳。
道長だけは大嫌い!加持祈祷を断る駆け足で慶円の生涯をたどってきましたが、彼は様々な要人との交流がありました。
例えば甥の藤原実資は慶円を「堪能人(たんのうのひと。教養や深みのある人物)」として庶子の良円(りょうえん)を預けるなど、ひとかたならぬ信頼を寄せています。
また一条朝の四納言として名高い藤原行成とも交流があり、彼の日記『権記(ごんき)』にも慶円がしばしば登場しました。