鎖国中の江戸時代、幕府がキリスト教国のオランダとも貿易を続けていた理由 (3/3ページ)
また、1823年にはシーボルトというオランダの医師が「鳴滝塾」を開き、市民の治療の実演や診察方法など西洋の医学を広めました。
先進国の発達した文化や他国の情報を伝えてくれるだけでなく、日本ではキリスト教の布教をしないと約束したオランダは、幕府にとって都合のよい貿易相手だったのです。
鎖国したにもかかわらず、キリスト教国のオランダと貿易を続けていたのは、先進国の文化や他国の情報を得るためでした。
つまり鎖国は、「いいとこどり」をしようと考えた幕府の苦肉の策とも言えるでしょう。
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