鎌倉殿・源頼朝の死因「暗殺説」は素人考え!?そして様々な病死説…研究者はこの問題をどう考える (1/5ページ)

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鎌倉殿・源頼朝の死因「暗殺説」は素人考え!?そして様々な病死説…研究者はこの問題をどう考える

記録されていない「頼朝の死」

鎌倉時代の後期に成立した史書『吾妻鏡』では、源頼朝落馬が原因で亡くなったとされています。

源氏山公園の源頼朝像

【現地へ行ってみた】鎌倉幕府の初代将軍・源頼朝の落馬の地とされている地域はどんなところなのか?

1198年(建久九)の師走、頼朝は相模川に架けられた橋の開通式に参列しましたが、その帰り道に稲村ヶ崎近くで落馬して、そのケガが原因で翌年の1月に亡くなったというのです。

しかし、この話をめぐっては、かねて疑問の声があがってきました。

そもそも『吾妻鏡』には、鎌倉幕府にとっての最大重要事件である頼朝の死について詳しく記録されていないのです。

『吾妻鏡』には、平安末期の源頼政の挙兵から87年間にわたる出来事が日記体で記されているのですが、頼朝の死については、その死から13年も後に「落馬したのがもとで亡くなり」と触れているにすぎません。

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