鎌倉殿・源頼朝の死因「暗殺説」は素人考え!?そして様々な病死説…研究者はこの問題をどう考える (3/5ページ)
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尼将軍・北条政子の有名な暴力行為「夫の浮気相手の家を”破壊”」実は当時の風習だった!?そのなかには、北条氏による「暗殺説」もあります。
代表的な、北条氏「主犯」説はこういうものです。頼朝は、橋の開通式に参列した際、主催者の稲毛重成に毒を盛られてそれが原因で帰路に落馬しました。その重成は、北条時政の意を受けて実行したというのです。
ただし、現在の歴史家でこの説をとる人はまず存在しません。暗殺説はどれもこれも荒唐無稽なものとみて差し支えないでしょう。
目下、有力とされているのは糖尿病原因説です。鎌倉時代に書かれた近衛家実の『猪隈関白記』に、頼朝は「飲水の重病」(現在でいう糖尿病)だったと記されているのが、その一番の根拠となっています。
落馬によるケガがもとで持病の糖尿病が悪化し、亡くなったとみる研究者もいます。