【逃げ上手の若君】武将・北条時行の最大の庇護者にして諏訪氏の当主・諏訪頼重の人生と真の姿:後編 (2/3ページ)

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頼重は、後半生において北条氏や時行のために戦い、そして命を燃やして生き切ったと言えるものでした。

のちの室町幕府初代将軍となる足利尊氏。彼の裏切りが鎌倉幕府滅亡の一端となった。

もう1人の諏訪頼重と江戸時代に大名となった諏訪氏

頼重の没後の諏訪氏について、少しだけ触れさせて下さい。

孫の頼継が諏訪氏を継承した後、諏訪氏は変わらず足利に対抗して南朝方に参戦しています。

しかし敗北を重ねた末に没落。かつて一国をまとめたほどの権威は失われていきました。

時代が下り、戦国時代に入ると諏訪氏に新たな人物が登場します。

それも諏訪頼重という人物です。南北朝時代と同名ですが、彼も歴史に名を残した武将でした。

戦国時代の諏訪頼重は、甲斐国の武田氏と敵対。一時の諏訪氏は甲斐国に攻め込もうかとするほどでした。

諏訪頼重は武田信虎の三女を正室に迎えて婚姻関係を構築。しかし武田晴信(信玄)の代になると再び敵対します。

晴信は諏訪氏の内紛を利用して諏訪へ侵攻。降伏した諏訪頼重は甲斐国の甲府に身柄を移されます。

天文10(1541)年、東光寺で諏訪頼重は自刃。このとき、諏訪惣領家は滅亡しました。

のちに諏訪頼重の娘・諏訪御料人が信玄の側室となり、二人の間に諏訪(武田)勝頼が生まれています。

しかし天正10(1582)年、その勝頼も織田信長によって滅ぼされてしまいました。

結果、諏訪氏の傍流である諏訪満隣が大祝職を継承。

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