【逃げ上手の若君】武将・北条時行の最大の庇護者にして諏訪氏の当主・諏訪頼重の人生と真の姿:後編 (1/3ページ)
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思わぬ旧鎌倉幕府勢力の決起は、京の建武政権に衝撃をもたらしました。
足利尊氏は、時行討伐のために征夷大将軍任命を朝廷に要請。しかし後醍醐天皇は許しませんでした。
結果、尊氏は勅命を得ずして出陣。折って征東将軍に任じられています。
おそらくはこのときには、すでに尊氏は新たな武家政権を築こうと考えていたと思われます。
建武2(1335)年8月、尊氏は次々と時行方の武将を撃破。14日には、諏訪氏出身の諏訪小次郎金刺頼秀が戦死するなど、追い詰められていきます。
しかし頼重や時行たちも奮戦し、各地で激闘を展開。今川頼国・頼周兄弟を討ち取るなど戦功を上げています。
ところが戦線の後退は徐々に後退。19日になって、相模国辻堂で頼重は鎌倉の勝長寿院で一族43人と共に自刃して果てました。
嫡男・時継もこの時に運命を共にし、諏訪氏の家督は頼重の孫である頼継が相続しています。
