鎌倉時代、関東の武士は本当に無粋で無学な田舎者だった!?実は「あの人」も恥をかいていた【逃げ上手の若君】 (3/3ページ)

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鎌倉幕府が成立して39年後、後鳥羽上皇が幕府打倒を企てて兵を挙げました。そのさい、幕府側は、後に三代執権となる北条泰時が関東武士を率いて京へ攻め上り、鎮圧します。

歌川国芳が描いた北条泰時(Wikipediaより)

その後、朝廷から講和文書が下されたのですが、泰時には漢文で書かれたその文書が読めなかったのです。

そこで、家来の岡崎三郎兵衛尉に「この文書を読める者はいないか?」と尋ねます。すると岡崎は「武蔵国の藤田三郎というものは学問があり、読めると思います」と答えました。

つまり当時、泰時配下の関東武士には漢文が読みこなせる者がわずか一人しかいなかったのです。

当時、関東武士は武芸に励み、学問を軽視していました。漢詩や和歌、古典文学などに興味をもつ者はまずいなかったのです。

ただし、学問や文芸に無関心と言っても、勉強ができなかったわけではありません。漢文が読めずに恥をかいた北条泰時は、鎌倉に帰ると猛勉強しています。

そしてその後の1232年(貞永元)には、鎌倉幕府初の法律「御成敗式目」を完成させています。

いつの時代にあっても、勉強はとても大事だということですね。

参考資料:歴史の謎研究会『舞台裏から歴史を読む雑学で日本全史』2022年、株式会社青春出版社
画像:photoAC,Wikipedia

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