八坂神社、祇園祭…謎に多すぎる古代ユダヤと日本の神社・祭りの驚くべき共通点とは?【日ユ同祖論】 (4/4ページ)

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その当時、国や土地に縛られず自由に移動できた民族で、高い文化と技術を持っていたのはユダヤ人でした。ユダヤ人は自信も優れた織物技術を持っており、商売人としても中国などから絹織物をもたらすため、ローマ人からは「絹の人」と呼ばれていたとか。

そしてユダヤ人がローマ帝国に滅ぼされ離散したときに、主な4つの交易路沿いに東へ東へと移動し、各地に定住したとのことです。その影響が、後述する景教徒です。

太秦

ネストリウス派キリスト教と呼ばれる宗派がかつて存在していました。キリスト教では異端とされており、ユダヤ教の色が濃いため、これはユダヤ人そのものではという考えもあります。

この宗教は西暦8世紀頃に中国で大いに盛んになり「景教」と呼ばれ国が禁じたほど。景教徒は736年に日本に渡り聖武天皇に拝謁しています。

で、この景教は「太秦教」とも表現されていたので、京都に移住して「太秦」という町をつくった渡来系の「秦氏」はこの景教徒ではないかという説があります。

お守り

ユダヤ人は呪文が書かれたアミュレットと呼ばれる護符を必ず身につけ、玄関には目ずさと呼ばれる護符を張り付ける風習があると言います。これも日本のお守りや玄関の注連縄などに通じるものです。

などなど、古代ユダヤ人と日本の共通点には枚挙にいとまがありません。

ユダヤ人そのものではなくても、ユダヤ教を信じる知識人が何らかの形で日本に渡ってきたのかもしれません。

参考:ユダヤと日本 謎の古代史

日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan

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