【光る君へ】目が見えない三条天皇、民が見えない道長…史実を基に11月10日放送を振り返り
藤原道長(柄本佑)の執拗な譲位要求により、ますます病悩を深める三条天皇(木村達成)。心強い味方であった藤原実資(秋山竜次)との約束を反故にしてしまったことで、愛想を尽かされてしまうのでした。
このまま三条天皇を追い詰めていこうとした道長も、あまりに強引なやり方を実資から批判されてしまいます。
「朝廷の仕事は民の幸せなどという曖昧なものではなく、有事に備えること」
「そもそも左大臣様には、民の顔など見えてはおりますまい」
「志を追い駆ける者が力を持つと、志そのものが変わっていく」
実資の言葉を理解できない、あるいはしたくない道長。最大の理解者である藤原行成(渡辺大知)や源倫子(黒木華)との距離も開きつつありました。
一方まひろ(藤式部。吉高由里子)家では父の藤原為時(岸谷五朗)が越後守の任務から帰京し、娘の藤原賢子(南沙良)が若武者の双寿丸(伊藤健太郎)に振られるなど、賑やかな日々が続きます。
そんな第43回放送「輝きののちに」。今週もNHK大河ドラマ「光る君へ」気になるトピックを振り返っていきましょう!
第43回放送「輝きののちに」関連略年表 長和2年(1013年)まひろ44歳/道長48歳 7月6日 藤原妍子が禎子内親王を出産。 7月7日 藤原道長が、孫娘(皇女)の出産に不快感を示す。 9月8日 藤原隆家が藤原実資を訪問。眼病の悩みを語る。 12月10日 敦康親王と具平親王女(祇子女王か)が結婚する。 長和3年(1014年)まひろ45歳/道長49歳 2月9日 内裏で火災が発生。 3月1日 三条天皇が藤原資平に眼病と難聴を訴える。 3月6日 藤原隆家が藤原実資を訪問。大宰権帥転任の望みを語る。 3月12日 内裏で火災が発生。 3月14日 藤原道長と藤原道綱が三条天皇を批判する。 3月22日 蔵人頭の人事で、三条天皇と藤原道長が揉める。 3月25日 藤原道長が三条天皇に譲位を迫る。 5月16日 敦明親王の願いにより、藤原兼綱が蔵人頭となる。 6月17日 藤原為時が越後守を辞する。 11月7日 臨時の除目により、藤原隆家が大宰権帥となる。冒頭で藤原妍子(倉沢杏菜)が三条天皇の皇女・禎子内親王(ていし/さだこ)を出産したのに対して、道長はご不満の様子。
皇子(男児)=皇位継承候補でなければ、いくら自分の血を引いてなくても意味はありません。
その後も妍子は皇子を生むことなく終わりますが、禎子内親王は三条天皇系の血統を後世に受け継いでいきました。
藤原頼通の側室問題隆姫女王(田中日奈子)と結婚したものの、子供に恵まれなかった藤原頼通(渡邉圭祐)。両親から側室をとるよう迫られるも、そのつもりはないようです。
三条天皇から皇女の禔子内親王(ていし/ただこ)を降嫁させる縁談が持ちかけられますが、頼通はこれを固辞。道長は
「男は妻は一人のみやは持たる。痴のさまや」
【意訳】妻を一人しか持たない男など、愚かである。と叱りつけます。当時はそういう価値観が当然でした。
結局、禔子内親王との縁談は有耶無耶に。彼女は藤原教通の妻となります。
かくして隆姫女王への愛情を守った頼通ですが、さすがに子供がいないままでは済ませられません。
藤原嫄子(げんし/もとこ。敦康親王女)を養女として後朱雀天皇(敦良親王)に入内させ、他にも妻を迎えるのでした。
【藤原頼通の妻一覧】
正室:隆姫女王 妻:藤原永頼女(藤原彰子女房) 妻:源憲定女(対の君) 妻:祇子女王(隆姫女王の同母妹、または姪)特に祇子女王(稲川美紅)は男女合わせて7人の子を生み、頼通の懸念を解消します。
果たして頼通・隆姫女王・祇子女王の関係がどのように描かれていくのか、注目していきましょう。
三条天皇が飲んでいた丸薬は何?三条天皇が宋から取り寄せたという丸薬。これは金液丹(きんえきたん)と呼ばれる万能薬で、当時は不老長寿の妙薬として珍重されました。
が、その成分は硫化水銀など(諸説あり)が含まれているとされ、多用すると失明や難聴などのリスクが高まるそうです。
……御病により、金液丹といふ薬をめしたりけるを人々「その薬くひたる人は、かく目をなむ疾(病)む」など、人は申しゝかど……
※『大鏡』六十七代 三條院天皇
果たして目が見えず、耳が聞こえなくなっていく三条天皇。ちなみに『大鏡』では怨霊の仕業であるとしています。
……まことには桓算供奉の御物怪(ものゝけ)にあらはれて申しけるは、物怪「御首にのりゐて、左右のはねをうちおほひ申したるに、うちはぶき動かすをりに、少し御覧ずるなり」……
※『大鏡』六十七代 三條院天皇
桓算供奉(かんざんぐぶ。供奉は僧職)の怨霊が三条天皇の頭に乗り、時折その翼を羽ばたきました。
だから目が見えたり見えなくなったり、耳が聞こえたり聞こえなくなったりしたそうです。
ちなみに日本で目薬が流通するようになったのは室町後期~戦国時代。清眼膏『霊薬 善光寺 雲切目薬』という軟膏を水に溶いて目に塗るタイプでした。
メガネも補聴器もない時代、視力や聴力の悪化は、生活に大きな支障をもたらしたことでしょう。
蔵人頭となった藤原兼綱とは?藤原資平(篠田諒)を差し置いて蔵人頭となった藤原兼綱(かねつな)。
亡き藤原道兼(玉置玲央)の三男として言及されていますが、どんな人物だったのでしょうか。
藤原兼綱は父の没後、伯父である藤原道綱(上地雄輔)の養子となりました。つまり完全に道長派の人物です。
三条天皇や敦明親王の贔屓によって蔵人頭となるも、やがて三条天皇が敦成親王(後一条天皇)に譲位すると蔵人頭の職を失いました。
後任の蔵人頭は藤原資平。ちょっと遅くなりましたが、結果的にはよかったようです。
その後も永らく兼綱の出世は滞り、結局公卿に列することは叶わずじまい。地方官に転じて生涯を終えたのでした。
劇中でも言及されるのみで、恐らく登場しないのではないでしょうか。
大宰府の名医・恵清とは?眼を負傷してしまった藤原隆家(竜星涼)が大宰府行きを願ったのは、宋からやって来た名医・恵清(けいせい/えしょう)がいたから。
この人物は生没年不詳、医術に優れていたために来日し、大宰府に滞在していました。
長和3年(1014年)に陸奥出羽按察使(むつでわのあぜち)を務めていた藤原清賢(きよかた)から、眼病治療に千両の砂金を払ったそうです。
果たして隆家の眼病は治るのでしょうか。京都で帰りを待つ脩子内親王(海津雪乃)と清少納言(ファーストサマーウイカ)のためにも、政界復帰を期待しましょう。
♪ふたつにひさしき鹿島立、弥栄々々……♪大宰府へ出立する双寿丸を見送るため、壮行会を開いた賢子たち。福丸(勢登健雄)が唄い踊っていたのは何でしょうか。
♪ふたつにひさしき鹿島立(かしまだち)、弥栄(いやさか)々々……♪
この鹿島立とは、武人が旅立ちに際して武運長久を鹿島神宮に祈願することを言います。
二つとは一対になっている鹿島神宮と香取神宮の二社(諸説あり)。
ちなみに鹿島神宮の御祭神は武甕槌命(タケミカヅチ)、香取神宮は経津主命(フツヌシ)でした。また武甕槌命と経津主命を合わせて鹿島明神とする説もあります。
後は憶測ながら、双寿丸という名前を分解して、双(ふたつに)寿(ひさしき)丸とかけたのかも知れません。
いずれも武運長久と弥栄(ますます永遠に栄えること)を祈願し、双寿丸の無事を願ったことでしょう。
第44回放送「望月の夜」道長(柄本佑)は公ぎょうらにも働きかけ、三条天皇(木村達成)に譲位を迫るも、代わりに三条の娘を、道長の息子・頼通(渡邊圭祐)の妻にするよう提案される。しかし頼通はすでに妻がいるため、その提案を拒否。道長は悩んだ末、皇太后の彰子(見上愛)に相談したところ…。一方、まひろ(吉高由里子)は父・為時(岸谷五朗)から予期せぬ相談を受ける。さらに源氏物語の執筆を続けていると、ある決意を固めた道長が訪ねてきて…
※NHK大河ドラマ「光る君へ」公式サイトより。
さぁお待たせしました。次週はいよいよ望月の歌、道長でさえ黒歴史と思ってか日記に書かなかったのを、実資に記録されて(そして現代に伝わって)しまった名場面です。
民の幸せどころか自分の幸せすらよく分からない道長ですが、どんな気持ちで「World is main」と詠んだのでしょうね。
そしてまひろを訪ねた道長の決意とは何なのか……次週も楽しみにしています。
トップ画像:大河ドラマ「光る君へ」公式サイトより
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