戦国時代、借金のカタに国土を譲渡!?日本の国土が外国領土になったのは昭和だけではなかった (2/3ページ)

Japaaan

彼の交渉によってポルトガル商人は10年間関税を免除されることになり、イエズス会には許可なしにはキリスト教徒以外は住めない土地が与えられたのです。

こうして教会が建てられ、商人たちが押し寄せた横瀬浦はすぐに栄えた港となりました。1563年には、大村は横瀬浦の教会で洗礼を受けてバルトロメオという洗礼名を授かり、日本初のキリシタン大名となっています。

いえずすかい 大村純忠(Wikipediaより)

しかし、大村のキリスト教に対する熱意は家臣の反感を買い、これに乗じて反純忠派の家臣たちが横瀬浦を焼き討ちしました。

さらに福田浦も、外洋に面していて停泊に不便ということもあり、ポルトガルはより良い港を求めて長崎地方一帯を測量して歩きました。

その結果、目を付けたのが長崎だったのです。

借金のカタに長崎を譲渡

当時の長崎は、大村純忠の娘を妻とする長崎甚左衛門純景の支配下にあり、半農半漁の集落が点在する寒村でした。

そこで、キリシタン大名だった大村純忠がポルトガル商人と協力しながら、新たな町割を実施して短期間のうちに港として形を整えたのです。

しかもその最中の1580年(天正8)、純忠は長崎の地をイエズス会に譲り渡してしまいました。長崎を担保に、ヤソ会から借金していた軍資金が返せなくなったからです。

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