満ちれば欠ける世の習い…残り数回、終盤の「光る君へ」史実を基に11月17日放送を振り返り (5/6ページ)

Japaaan

道長の差し金あるいは道長への忖度であることは間違いありません。

そうした嫌がらせに耐え兼ね、また自分よりかなり年少な後一条天皇(敦成親王)の東宮でいても、自身が即位できる見込みは薄そうです。

仮に即位できたところで、周囲に味方がいない中で父帝が受けてきた仕打ち(譲位の圧力)を絶えず受け続けることになります。

前途に絶望した敦明親王は「自ら」東宮の座を辞退。かくして三条天皇との約束は実質的に反故とされたのでした。

次期東宮には敦良親王(彰子の第二子・後一条天皇の実弟。のち後朱雀天皇)が立てられ、兄弟で皇位二代を占めたのです。

東宮の座を退いた敦明親王は小一条院(こいちじょういん)という尊号を贈られ、上皇に準ずる破格の待遇を提供されました。

欠けてゆく望月

満ちれば後は欠けるのみ(イメージ)

千年の歳月を越えて道長の悪名を高めた「望月の歌」。

しかしこれを詠んだ当時、道長自身は病(糖尿病か)に冒されてボロボロとなっており、また子供たちも一人また一人と喪われていきます。

昏倒を繰り返し、一時は三条天皇と同じく目がほとんど見えなくなっていた道長。やがて回復したものの、人々は怨霊の仕業と噂したと言います。

権力の絶頂を極める過程で蹴落としてきた相手は数しれず、思い当たる節は数え切れなかったことでしょう。

道長の死後、頼通が約半世紀にわたって権勢を誇ったものの皇子には恵まれず、時代は摂関政治から院政へと移ろい変わっていくのでした。

第45回放送「はばたき」

まひろ(吉高由里子)の源氏物語はいよいよ終盤を迎えていた。ある日、まひろは娘・賢子(南沙良)から、宮仕えしたいと相談され、自分の代わりに太皇太后になった彰子(見上愛)に仕えることを提案。

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