平賀源内の転落・破滅の原因は「炎上」だった!?当代きっての文化人を悲劇的な最期に導いた不運 (3/4ページ)
「道の駅ことなみ」には平賀源内ゆかりの名湯・美霞洞温泉がある
さて、1779年(安永8)の51歳の時に、彼は周囲の反対を押し切って屋敷を購入し、そこに住みはじめました。
その屋敷には検校(盲人で、社寺や荘園を監督する役職)の亡霊が出るという噂があり、源内はそれを面白がったようです。
お化け屋敷に自ら住みたがったのですから、これだけでも常軌を逸しています。実際、彼がその頃に描いた絵の中には、岩の上から降ってきた放尿を浴びて喜んでいる男の姿などがありました。
この時、源内の精神状態は既に健全な状態ではなかったのかも知れません。
悲劇的な死さすがに、精神病にかかったことが分かるような史料はないものの、この頃の源内は不運続きでした。
浄瑠璃のシナリオ作りでコケたり、上記のように事業に失敗したりといったことが重なり、怒りっぽくなっていたことは間違いないようです。
前述の、放尿を浴びて喜んでいる男の絵にしても、彼一流のユーモアだとする考え方があります。しかし、誰にも理解できない下品なユーモアは、この当時すでに彼の才能が枯渇していたことを表しているのかも知れません。