第11代将軍・徳川家斉に仕えた大奥 御年寄・大崎(映美くらら)の生涯をたどる【大河ドラマ べらぼう】 (2/4ページ)

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大奥で権勢を振るう

大奥で権勢を振るった大崎(イメージ)

一説にはそのまま家斉の乳母を務めたとも言われ、やがて家斉が成長すると江戸城西の丸へ移ります。

安永7年(1778年)ごろには御客会釈(応接係)を務め、天明元年(1781年)に家斉が将軍世子(後継者)となると、本丸大奥の御年寄に昇進しました。

天明7年(1787年)時点で序列第7位の御年寄として存在感を発揮した大崎。大奥を取り仕切る代表格のように評されることが多い大崎ですが、高岳(たかだけ/たかおか) ・滝川(たきがわ)・野村(のむら)には及ばず、筆頭格を務めたことはありません。

しかし同年に老中が田沼意次から松平定信に交代すると、定信と親しかった大崎は上位者をしのぐ権勢を振るいました。

そのため人々は「表は定信、奥は大崎」と噂したそうです。

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