「刀伊の入寇」で藤原隆家の指揮下で活躍した武者・大蔵種材(朝倉伸二)の武勇伝【光る君へ】 (2/4ページ)
大蔵種材は生年不詳、父親は大蔵種光(たねみつ)と伝わっています。
生年について詳しくは特定されていないものの、刀伊の入寇が発生した寛仁3年(1019年)時点で70歳を超える老齢でした。
そのため、少なくとも天暦4年(950年)以前の生まれであったと考えられるでしょう。
弓馬においては天下無双と称えられる腕前を誇り、岩間将軍の二つ名をとっていました。
大宰少監(だざいのしょうげん。大宰府の三等下官)を務めていましたが、寛弘4年(1007年)に大隅守を務めていた菅野重忠(すがのの しげただ)を殺害します。
下手人は息子である大蔵満高(みつたか)。恐らくは利権抗争が激化した結果でしょう。
果たして重忠の遺族から訴えられた種材は、その処遇について寛弘5年(1008年)5月に陣定で協議されました。
協議することおよそ半年、同年11月になって種材は左衛門府に身柄を拘束されます。
しかし翌寛弘6年(1009年)7月に放免。殺人容疑でこの拘束期間は少し短すぎる気がしますが、何故でしょうか。
種材が当局に賄賂を渡したか、あるいは当局関係者が種材の報復を恐れたか、もしかしたら両方かも知れませんね。
