【光る君へ】「刀伊の入寇」で軍功を立てた大神守宮(金児憲史)とは何者?その実像に迫る (1/4ページ)

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【光る君へ】「刀伊の入寇」で軍功を立てた大神守宮(金児憲史)とは何者?その実像に迫る

鎮西在地の武者 大神 守宮(おおがのもりみや)
金児 憲史(かねこ・のりひと)

鎮西在地の武者。刀伊(とい)の入寇(にゅうこう)の際に軍功を立てる。

※NHK大河ドラマ「光る君へ」公式サイトより。

時は寛仁3年(1019年)3月末から4月にかけて、刀伊(女真族)の海賊が九州北部各地を襲撃。大いに荒らし回りました。後世に伝わる「刀伊の入寇」です。

当時大宰権帥を勤めていた藤原隆家(竜星涼)は、大宰府や各地の武者たちを寄せ集めてこれに対抗。死闘の末に撃退したのでした。

今回は刀伊の入寇で活躍した武者の一人・大神守宮(おおがの/おおみわの もりみや)を紹介。果たして彼はどんな人物だったのでしょうか。

多くの賊徒を射殺す

大神守宮は生没年不詳、家族やその出自などについても詳しいことは分かっていません。

古墳時代に豊後国(大分県)へ入り、宇佐神宮の神官として奉職していた大神氏と関係があるのかも知れません。

また下の名前からも、個人名ではなく神社を守る神官(職名)だった可能性も考えられます。

刀伊の入寇に際しての活躍は『朝野群載』や『小右記』などに記されました。

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