布教で来日したキリスト教系団体、実は「イエズス会」だけではなかった!知られざる四大派閥とその内情
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フランシスコ・ザビエル
イエズス会以外にも修道会があった
日本にキリスト教を広めた修道会といえば、フランシスコ・ザビエルが所属していたイエズス会が有名です。
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フランシスコ・ザビエルとルイス・フロイス、日本でキリスト教を布教した後どんな最期を迎えたのか?しかし、実は当時、来日した修道会はこれだけではありませんでした。イエズス会を含む計四つの修道会が来日し、それぞれが派閥を形成していたのです。
今回はその四つの修道会について解説しましょう。
まずイエズス会ですが、これは中国や日本では「イエス」の漢訳が耶穌であることから耶穌会(やそかい)やジェズイット(Jesuit)教団などとも呼ばれていました。
ちなみに、最初に名前を挙げたフランシスコ・ザビエルは創設メンバーの一人です。イエズス会は神の軍隊、その会員は教皇の精鋭部隊とも呼ばれ、軍隊的な規律で知られています。
次にフランシスコ会(あるいはフランチェスコ会)が挙げられます。13世紀のイタリアでアッシジのフランチェスコによって創められたカトリック教会の修道会の総称です。
広義には第一会(男子修道会)・第二会(女子修道会)・第三会(在俗会)を含み、現在もその活動は全世界に渡っています。
フランシスコ会は、無所有と清貧を主張した創設者フランチェスコの精神にもとづき、染色を施さない修道服をまとって活動しているのが特徴。
同会から生まれた神学者・スコラ哲学者にはボナヴェントゥラ、ドゥンス・スコトゥス、オッカムのウィリアムなどがいます。
アウグスチノ会・ドミニコ会三つめはアウグスチノ会。聖アウグスティヌスの作った会則に基づいて修道生活を送っていた修道士のグループが、13世紀半ばに合同して成立した修道会です。
キリスト教系団体の中でも、カルメル会と並ぶ托鉢修道会として知られています。
実はアウグスチノ会の会員として、かのマルティン・ルターやヨハン・メンデルがいます。
最後の四つ目の派閥はドミニコ会で、1206年に聖ドミニコにより設立され、1216年にローマ教皇ホノリウス3世によって認可されたカトリックの修道会です。彼らが羽織る黒い外套にちなんで黒衣の修道会とも呼ばれています。
イエズス会内部の対立もあったと、ここまでは修道会単位で四つの組織を紹介しましたが、さらに、最大派閥だったイエズス会のなかでも、ポルトガル系宣教師とイスパニア系宣教師が対立して二大派閥を作っているというのが内情でした。
海をわたって来日した宣教師たちは、神の教えを伝えるためにはるばる日本までやってきたはずですが、全員一丸となって布教活動にあたるというわけにはいかなかったようです。
なかでも、ポルトガル系宣教師とイスパニア系宣教師の対立は、1592年(天正20)にイスパニア船の日本来航が許されて以来、激しさを増しました。
ポルトガル系宣教師たちは、祖国の貿易船が打撃をこうむり布教活動にも影響が及ぶとして、イスパニア船の来航に強く反対したのです。
その後も両者の対抗意識はさらに高まり、昇進人事に関する問題などで対立を深めていきました。
一言にキリシタン勢力といっても決して一枚岩ではなく、その内情は複雑だったのです。
参考資料:歴史の謎研究会『舞台裏から歴史を読む雑学で日本全史』2022年、株式会社青春出版社
画像:photoAC,Wikipedia
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