最澄の天台宗、空海の真言宗…日本の仏教を変えた「密教」はその後どのように展開した? (2/3ページ)
帰国後、最澄は天台宗(てんだいしゅう)を、空海は真言宗(しんごんしゅう)を開き、日本仏教に新しい時代をもたらしました。
最澄や空海がもたらした仏教には、「密教(みっきょう)」という特徴がありました。密教では「加持祈禱(かじきとう)」と呼ばれる特別なお祈りをします。これは、手で印(いん)という形を作り、呪文を唱えて仏さまの力を呼び出すものです。
ただ、この教えは限られた弟子だけに伝えられました。一方、奈良時代からある南都仏教は「顕教(けんきょう)」と呼ばれ、誰でも経典を読んで学ぶことができました。
また、最澄や空海の仏教では、山で修行することが大切にされました。これは日本に昔からある山岳信仰(さんがくしんこう)の影響を受けたもので、のちに修験道(しゅげんどう)という新しい修行の道も生まれました。
天台宗の拠点は比叡山(ひえいざん)延暦寺(えんりゃくじ)で、真言宗の拠点は高野山(こうやさん)、金剛峯寺(こんごうぶじ)です。
平安時代中期、天台宗は分裂します。比叡山延暦寺を中心とする円仁(えんにん)の「山門派(さんもんは)」と、園城寺(おんじょうじ)を中心とする円珍(えんちん)の「寺門派(じもんは)」が対立するようになりました。
この対立は、僧侶同士の議論だけでは収まらず、やがて僧兵(そうへい)を使った武力衝突に発展しました。
特に、山門派の僧兵は圧倒的な力を持ち、たびたび園城寺を焼き討ちしました。これにより、寺門派は延暦寺を追われ、園城寺を拠点としました。この争いは、平安時代末期には貴族や武士の政治争いにも影響を与えました。
山門派は源氏に、寺門派は平氏に味方するなど、仏教界が政治に深く関わるようになりました。
鎌倉時代に入ると、天台宗は他の新しい仏教宗派の影響を受けながらも存続します。
