明治新政府に最後まで抵抗した幕末のサムライ・榎本武揚は「最良の官僚」か日和見主義者か? (2/3ページ)
榎本に対しては、もちろん死刑を主張する声も強かったようです。その代表格は新政府の木戸孝允や大久保利通で、それに対して助命運動に奔走したのは薩摩藩出身の黒田清隆でした。
黒田は、榎本こそ新政府に必要な人材だと考えていたのです。彼が榎本を新政府でスカウトすることになった経緯を簡単に見ていきましょう。
黒田は、五稜郭落城の数日前から榎本らに降伏を勧告していました。
すると榎本は、断りの返事とともに、黒田にフランス語で書かれた『万国海律全書』と、
「この書は海軍日本に二つとないものだから、兵火で失うのは惜しい。海軍アドミラル(提督)のあなたに差し上げたい」
という手紙を託していました。
黒田は榎本の行動に感動し、オランダ留学の経験があって学識豊かな榎本を新政府でも働かせたいと考えるようになったのです。
黒田の尽力によって死刑を免れた榎本は、約二年半で出獄しました。
福沢諭吉の評価そして榎本は、開拓次官だった黒田の部下として新政府で働き始めます。