徹底的な報復で352名が処刑!幕末の激動期 最大の悲劇「天狗党の乱」とは? (1/3ページ)
幕末の激動期における事件の一つ、「天狗党の乱」は、水戸藩を中心とする尊皇攘夷派の集団が起こした大規模な反乱です。
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【幕末維新】天に達すか、尊皇攘夷の志。水戸天狗党の乱に散った志士・藤原天達1864年(元治元)年、筑波山で挙兵し、352名が処刑されるという、この幕末最大の悲劇は、「元治甲子の乱」とも呼ばれています。それにも関わらず、高校の日本史の教科書でさえ、大きく取り扱っていないため、その全容を知らない読者の方も多いと思います。
そこで今回は、乱が起きた背景や経緯、そして結末を詳しく解説していきます。
尊王攘夷派の集団「天狗党」
もともと「天狗党」は、水戸学の思想に影響を受けた尊皇攘夷派の集団でした。水戸学は、水戸藩第9代藩主・徳川斉昭が推奨した学問で、天皇を尊ぶ尊皇思想を中心としています。その誕生には、1829(文政12)年、水戸藩内の後継者問題に端を発しています。
徳川斉昭が藩主に就任し、藤田東湖や会沢正志斎ら改革派が登用されました。
