見よ!これが武士の生き様だ!主君や家族、友人の為に命を懸けた「日本三大仇討」を紹介 (2/5ページ)

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歌川国芳画:曽我兄弟/Wikipediaより

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この仇討の発端は2人の祖父と工藤佑経の所領争いに遡ります。父であった河津佑泰は恨みを買われた祖父と共に佑経の刺客に襲われ、不幸にも絶命してしまいます。

残された曽我兄弟は佑経に恨みを抱きながら生き、一方で佑経は源頼朝の御家人となり、寵臣として悠々とした人生を送っていました。

しかし、転機が訪れます。それは建久4年(1193)に行われた富士の巻狩りでした。これには頼朝と佑経も参加していて、夜になり酒を飲んで酔っていた佑経を2人は討ち果すことに成功します。

しかし、騒ぎを聞きつけた武士たちによって、佑成は仁田忠常によって討たれてしまい、時致は頼朝を討ち果たそうと向かっていきますが、拘束されてしまいます。

頼朝は翌日、時致から仇討に至った理由を聞き助命を考えます。しかし、佑経の子・犬房丸が泣いて訴えてきたため、時致は処刑されてしまうのでした。

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