「りんご」は日本古来のもの?欧米のもの?誰が、いつから栽培したの…?日本りんご史に迫る【前編】

「ワリンゴ」とヨーロッパ産リンゴ
私たちが普段当たり前のように口にしている食べ物にも、意外な「歴史」があるものです。今回は、多くの人が好きなフルーツであるりんごの歴史にスポットを当ててみましょう。
現在、一般に流通しているりんごは純粋な日本産のものではありません。これは約150年前、主にヨーロッパからアメリカを経て日本にやってきたものです。欧米産なのです。
最初は外国産の品種をそのまま育てていましたが、のちに日本でも新品種がたくさん作られるようになりました。

しかし一方で、ヨーロッパ産のりんごが日本に入ってくるよりもずっと昔から、日本には別のりんごがありました。ワリンゴという、1000年も昔に中国からやってきた小さなりんごです。
では、このワリンゴと、ヨーロッパ産のりんごは日本国内でそれぞれどのような歴史を辿ってきたのでしょうか。
りんごは「利宇古宇」!まずはワリンゴの歴史からになります。日本に伝来したのは平安時代から鎌倉時代にかけてのことでした。
平安~鎌倉と範囲がやけに広いのには理由があります。
平安時代の文献には一応「林檎」を万葉仮名で「利宇古宇(リウコウ)」と読ませる記述があるものの、現物が当時の日本に存在した証拠がないからです。あったかも知れないし、なかったかも知れません。
ただ、鎌倉時代以降の古典や古文書では、「林檎」は上流社会の贈答品あるいは献上品として珍重されていたという記述があります。
上述の「リウコウ」という読み方はその後変化し、「リンキ」や「リンキン」、あるいは地方ごとに「加賀りんご」「彦根りんご」などと呼ばれるようになりました。

一応、九州から東北地方までの一部の地域まで栽培範囲は拡大していったようですが、まだ当時の生産量は少なく、人気はなかったようです。
庭の果樹として栽培されることも多く、「高坂りんご」「大東」など地名のついた品種が生まれました。
黒田清隆が日本へ持ち込むその後、現在の私たちがりんごと聞いてイメージする、あのりんごの直系の先祖にあたるセイヨウリンゴがヨーロッパから伝わります。
きっかけは、1871年(明治4年)に、北海道開拓の黒田清隆がアメリカから苗木75種を持ち帰ったことでした。

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酔っ払って妻を斬殺するも隠ぺい工作…第2代内閣総理大臣・黒田清隆の酒乱エピソードその後、1874年に内務省勧業寮が苗木の配布をスタートさせ、各地で栽培が始まります。
そして1879年、北海道で配布したりんごが初めて結実しました。
セイヨウリンゴの栽培が盛んになってからは、ワリンゴはほとんど作られなくなり、今では一部の地域だけに残っています。
例えば、先に名前を挙げた「高坂りんご」がそうです。長野県飯綱地方に残るワリンゴで、明るいピンク色をしたゴルフボールほどの小さな実をたくさんつけます。
これはお盆のお供え物のほか、シードル酒の原料に利用するなど、現在はその価値が見直されています。
【後編】では、明治末期以降の日本のりんごの歴史と、現在も成長し続けている国内で最も古いりんごの樹についてご紹介します。
参考資料:
安田守『調べる学習百科 りんごって、どんなくだもの?』2017年12月31日発行、岩崎書店
りんご大学
画像:photoAC,Wikipedia
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