戦国時代の「抜け駆け」は命懸け!?徳川家康はルールを破った家臣をどう処罰したか (1/3ページ)

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戦国時代の「抜け駆け」は命懸け!?徳川家康はルールを破った家臣をどう処罰したか

今も使われる「抜け駆け」という言葉

「抜け駆け」という言葉は現代でもごく普通に使われていますね。特定の集団の中で、一人だけ他人を出し抜いて先に行動し、利益を得ようとする行動のことです。

実はこの頃場は非常に古いもので、戦国時代の合戦に由来します。

抜け駆けという言葉は今でもあまり良いニュアンスで使われることは少なく、どこか「裏切り」「背信」と通じるものがありますね。

とは言っても、抜け駆けしたというだけで処罰されることは、普通はありません。

しかし戦国時代は違っていました。抜け駆けをした者は、時として命をもって償わなければならなかったのです。

武者行列(イメージ)

今回はそんな「抜け駆け」の語源と、それにまつわる切実なエピソードをご紹介しましょう。

明確なズル

先に述べた通り、特定の集団で一人だけ密かに人を出し抜く人・ことが「抜け駆け」ですが、これは戦国時代の合戦に由来します。

もともとは、合戦において、他の人より先にこっそり陣を抜け出して功績を立てようと敵中に攻め入ることを指す言葉だったのです。

これは明確な「ズル」でした。

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