大河ドラマ「べらぼう」に登場する「吉原」現在はどうなっているのか?実際に歩いてみた!

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大河ドラマ「べらぼう」に登場する「吉原」現在はどうなっているのか?実際に歩いてみた!

あづまの花 江戸繪部類(清水晴風)国立国会図書館より


大河ドラマ「べらぼう」で登場する「吉原」。

上の画像は江戸時代の吉原を大門越しにのぞいた様子ですが、今現在はどのような街の景色になっているのか、気になる人もいるのでは。

実際筆者が歩いてみたものの、昭和33年まで続いた花街も昔の名残を留めるのは僅かでした。僅かに残った縁(ゆかり)のある場所をご紹介しましょう。

吉原大門と見返り柳

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吉原遊廓(新吉原)の唯一の出入り口だった「吉原大門」。当時門のあった場所には「よし原大門」と書かれた街路灯が残されているのみです。

見返り柳(フォトACより)


「見返り柳」は大門のすぐ近くにあり、客が去るときに後ろ髪をひかれつつ吉原を振り返るので、この名前がつきました。かつては山谷堀脇の土手にありましたが、関東大震災後の区画整理に伴い現在地に移されたそうです。その後も戦争などにより度重なる焼失などによって、植え替えられています。最初の松が江戸時代のいつ植えられたはわかりません。

吉原神社と吉原弁財天

吉原神社(フォトACより)

>>案内板抜粋
明治五年に新吉原遊郭の四隅に祀られていた四稲荷社と、地主神である玄徳稲荷社を合祀して、吉原神社を創建した。さらに昭和十年吉原弁財天を合祀した。
当社は新吉原遊郭の鎮守の社であり、遊郭の盛衰とともに歴史を重ね、初午・祭礼の賑わい、ことに花魁の参拝は古書にも記されている。現在も幸せを祈る女性へのご利益はよくしられている。

吉原神社の隣には大病院が建ち、それを挟むかのように吉原弁財天が建立されています。
上記にもあるとおり、全てあわせて主祭神は『稲荷神である倉稲魂命(うかのみたまのみこと)と弁天様である市杵嶋姫命(いちきしまひめのみこと)』です
境内には末社の「お穴様」という土地神様の社もありました。地中の神様ということですが「穴」という言葉に、この場所ならではを想起してしまうのは筆者だけでしょうか…。

DSCN5585.jpg拝殿です
DSCN5586.jpgお穴さま

吉原弁財天と観音像

吉原弁財天の本宮は平成24年に改修工事が行われ、東京芸術大学の学生たちが協力してデザインした壁画や拝殿がカラフルです。和風というよりアジア風に生まれ変わっています。激しい風に吹かれ、悲しみを一身に背負ったような観音像と対比すると、なんとなく浮いてしまっている気もしました。
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吉原弁財天の本宮(フォトACより)

DSCN5592.jpg拝殿

●吉原観音像

>>案内板抜粋
新吉原花園池跡。江戸時代初期までこの付近は湿地帯で、多くの池が点在していたが、明暦三年(1657)の大火後、幕府の命により湿地の一部を埋め立て、日本橋の吉原遊郭が移された。
池は、花園池・弁天池の名で呼ばれたが、大正十二年の関東大震災では多くの人々がこの池に逃れ、四九〇人が溺死したという悲劇が起こった」

新吉原花園池の跡地。関東大震災のときは490人ものが溺死したという悲劇が起きました。その犠牲者の慰霊のためにこの境内に建立された観音像です。

「昭和三四年吉原電話局の建設に伴う埋め立て工事のため、池はわずかにその名残を留めるのみとなった」とあるように、一画に小さな小さな池があります。金魚が泳ぎ、竹矢来や鹿おどしなどがあり、そこそこ風情はあります。DSCN5598blog_.jpg
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※フォトAC以外の写真は筆者撮影

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