戦争は始めるより終わらせる方が難しい!では戦国時代はどのように「停戦」にこぎつけていたのか? (2/4ページ)

Japaaan

『天目山勝頼討死図』歌川国綱画 Wikipediaより

よって戦国時代の場合、ある程度戦って優劣が決まると双方から使者が出て、領土の新しい境界線を決めたり、今後の相互不可侵や安全保障での合意をとりつけて停戦となるのが普通でした。

特に領土争いが理由の場合は、「どちらが正しいか」という戦いではなく「あの土地が欲しい」という実利的な目的によって始まった戦いということになります。

その場合は、条件さえ折り合えば停戦にこぎつけるのはそう難しいことではありませんでした。

さて、停戦合意がなされると、誓紙を交わすことになります。

誓紙とは「起請文(きしょうもん)」のことです。

起請文による手続き

もともと、国境を接する戦国大名たちは、軍事同盟の締結や合戦など大名同士の外交関係が顕著になるに従い、こうした起請文を取り交わすことが少なくありませんでした。

軍事同盟の締結や合戦の和睦に際して、お互いの信頼を確認するために双方で起請文を交わしていたのです。

例えば、有名なものに天正壬午起請文があります。

天正10年(1582年)3月、織田・徳川連合軍の甲斐侵攻により甲斐の武田氏は滅亡しました。

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