高い地位より剣の道!戦国時代、”最強の剣豪”と称された上泉信綱の伝説・エピソードを紹介 (2/3ページ)

Japaaan

幼いころから兵法(剣法)興味を持っていた彼は、鹿島に通い、塚原卜伝の師匠でもあった松本備前守政信(まつもとびぜんのかみまさのぶ)から剣と槍を学びました。

また、祖父も父も剣の腕前は一品。さらに、大胡城内にあった剣術道場は、達人が営む「剣術の聖地」として、各地から剣の腕前に自信がある武士たちが集まる環境でした。

陰流の奥源を究め、新陰流を大成したことが彼の大きな功績です。しかし、文武両道でもあった彼は、ほかにもさまざまなエピソード・伝説を残しています。

上泉信綱(かみいずみのぶつな)の最強エピソード

たとえば、彼は城主として、武田信玄軍と激しい戦いを繰り広げ「上野国一本槍」と呼ばれました。また、弟子たちと京都に上った際には、将軍・足利義輝の前で試合を行い、「古今比類なし」と絶賛され、「上泉伊勢守兵法天下一」と感状を受けています。

歌川国芳「甲越勇将傳 甲斐国 武田大膳大夫 兼 信濃守晴信入道信玄」

さらに、武田信玄は彼の腕前を高く買っており、臣下にしたいと思っていました。しかし、上泉信綱はその誘いを断ります。「新陰流の普及」が彼の第一の願いだったことが理由だと言われています。

その理由に感銘を受けた武田信玄は、「信玄」の「信」の文字を彼に与えました(それまで、上泉信綱は上泉秀綱(かみいずみひでつな)という名前でした)。

上泉信綱(かみいずみのぶつな)が残した名言

上泉信綱は、名言も残しています。

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