大河ドラマ「べらぼう」の名物!?蔦屋重三郎(横浜流星)のダジャレのひとつ『これしか中橋』ってどこの橋? (2/3ページ)
この辺りは寛永元年(1624)に中村勘三郎(なかむら かんざぶろう。猿若勘三郎)がお江戸で初めて芝居小屋を掛けており、これが江戸歌舞伎の嚆矢とされました。
またすぐ近くには南伝馬町を抱える交通・物流の要でもあったことから、中橋は多くの人で賑わいました。
……しんばし(新橋)とやらんうちわたり、みやこの人のかけつけらん、そのなばかりは京ばし(京橋)を、人もろともにうちわたり、みればなにをもなかばし(中橋)の、きょうげん(狂言)おどり上るりや、木にてつくりしでこのぼう(木偶坊)、いとであやつるおもしろや……
※徳永種久『徳永種久紀行』元和3年(1617年)より
【意訳】新橋とやらを渡り、都の人々が駆けつける。名前ばかりは京と冠する(しかし都とは程遠い)京橋を人々と渡る。見ると「何をも無か橋」では、狂言踊りや傀儡舞(くぐつまい)などが活況を呈している……。
何にも「無か橋(中橋)」と言う割には、芸能の街として色々盛り上がっていたようです。
やがて紅葉川は江戸の都市開発が進む正保年間(1644〜1648)ごろから、次第に埋め立てられていきました。