なぜ私たちは“推し活”をするのか。推しがくれるものと、奪っていくものとは―― (3/3ページ)

マイナビウーマン

だからこそこの物語に触れれば、自分と推し活との関係性について、客観的に考えざるを得ないのだ。

■救っては傷つけるーー推しがくれるもの、奪っていくもの

推し活こそが自分の人生で、生きる希望。そう思える主人公の人生を羨ましく感じる人もいるかもしれない。日本人は国民性として、自己肯定感が下がりやすいという。自分を好きになれなくても、生きる希望を見つけている主人公は、ある意味とても強い意志を持っている。

その一方で、推しの一挙手一投足に苦しめられ、情緒を乱す瞬間も多い。3次元に推しがいる以上、相手は人間で、時にプロとしてはあり得ないようなミスをすることもある。

だがSNS時代の今は、他人の声も大きく聞こえやすく、推しへの叱咤は自分への叱責として重くのしかかる。そして、どんなに推しを思ったとしても、その行動をコントロールすることはできるようにならない。作中には、そんな「依存対象としての推し」の危うさも描かれる。

推しがいる人生の幸福と、推しがいる人生の不自由さ。そのどちらもを描くことで、私たちが「大推し活時代」に何を考えるべきなのかが、暗に伝えられている気がした。

推し活も適量で済ませられればそれが1番いいのかもしれないが、好きという気持ちは止められない。グッズを集めて、課金をするほど、自分の人生にまとまり感を覚えることも確かなのだ。

だけど、いつ次の推しに出会ってしまうか分からないほど、推しの供給過多が起きているのも現代だ。生きる目的となり得る「神」である推しとの関係の強固さ、そして儚さーー無宗教国・日本に生まれた“新興宗教”でもある推し活という特殊な文化。当事者である人もそうではない人も、時代を映す鏡のような本として、一読の価値があるはずだ。

(ミクニシオリ)

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