「大坂夏の陣」で見せた武士の誇りと忠義!戦国武将・真田信繁の壮絶な最期 (2/2ページ)

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ところが、西軍の敗北により、信繁と昌幸は高野山へ追放され、九度山(現在の和歌山県)で謹慎生活を送ることになりました。この時期の信繁は、捲土重来を期し、困難な状況を過ごしたと伝えられています。

1614年、大坂冬の陣が始まると、信繁は豊臣家に呼ばれて大坂城へ入りました。戦いでは、城の南側に「真田丸」という出城を築き、大いに徳川軍を苦しめます。この戦いで信繁の名声は一気に高まりました。

そして、翌年の「大坂夏の陣」では、家康の本陣に突撃し、命を懸けて奮戦しました。その戦いぶりは徳川方の記録にも残り、「日本一の兵(ひのもといちのつわもの)」と称えられています。

しかし、圧倒的な兵力差により豊臣方は敗北。信繁も最後は安居神社(現在の大阪市)近くで討ち死にしました。享年49。その姿は、忠義と誇りを示す武士の鑑として語り継がれています。

参考文献

笠谷和比古『関ヶ原合戦と大坂の陣』(2007 吉川弘文館) 小林計一郎 編『真田幸村のすべて』(1989 新人物往来社) 小林計一郎 編『決定版 真田幸村と真田一族のすべて』(2015 KADOKAWA) 千田嘉博『真田信繁「勝利」への条件』(2015 三笠書房) 曽根勇二 著、日本歴史学会 編『片桐且元』(2001 吉川弘文館) 曽根勇二『大坂の陣と豊臣秀頼』(2013 吉川弘文館) 平山優『大いなる謎真田一族 : 最新研究でわかった100の真実』(2015 PHP研究所) 平山優『真田信繁 : 幸村と呼ばれた男の真実』(2015 KADOKAWA) 三池純正『真田信繁:「日本一の兵」幸村の意地と叛骨』(2009 宮帯出版社)

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