顔も見たくない!?隣国で忌み嫌われた日本の紙幣ベスト3【後編】 (2/3ページ)
もともと福沢はそうした日本での経験を生かして朝鮮の近代化を支援しようとし、朝鮮国内の開化派に対する経済的・人的援助を惜しみませんでした。
しかし1884(明治17)年の甲申事変で、福沢が支援していた開化派はクーデタに失敗し、捕らえられたメンバーやその家族、一族までもが残忍な方法で処刑されます。
このことに衝撃を受け、彼の朝鮮に対する理解は大きく変化しました。
福沢が創刊した『時事新報』という新聞の1885(明治18)年3月16日の社説に、「脱亜論』という論説が掲載されます。
そこには、日本はアジアでいち早く近代化を進め、アジアの価値観から抜け出した、つまり「脱亜」した国であると書かれていました。
そして、近隣国である清国と朝鮮が古い体制を維持しているのは不幸なことで、清国と朝鮮は東アジアの「悪友」であり、日本は欧米諸国がこれらの国に接するように接していくべきであると主張したのです。
そのため韓国では、福沢は朝鮮(韓国)を蔑み、侵略することを肯定した侵略主義者であると理解されているのです。
伊藤博文に対する憎悪そして伊藤博文です。この人も千円紙幣で肖像画が使われていましたね。