大河ドラマ『べらぼう』蔦重が絵の才能に惚れた少年唐丸!正体はあの有名浮世絵師!?【前編】
NHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」の第5回「蔦に唐丸因果の蔓」は、ファンの多い少年唐丸(渡邉斗翔/わたなべとわ)に大きな動きがあり、ネットニュースやSNSでも話題となっています。
「蔦屋の唐丸に因果の蔓(つる)」とは……名前も素性も忘れ記憶喪失になりきった唐丸だが、昔の因果が蔓のように絡みついてきて、新しい人生を歩み出そうとするのを邪魔する。
そんな意味合いだったのでしょうか。
唐丸は、初回放送の冒頭、「明和の大火」のとき吉原で燃える家の前で呆然としているとことを蔦屋重三郎(横浜流星)が助けた少年です。
利発で才能溢れる唐丸は、ドラマの回を重ねるごとにファンが増え、初回から噂されていた「唐丸は、蔦重がプロデュースして将来有名な浮世絵師になる」説が有力になってきたようです。
唐丸とは、いったい何者で、彼の過去の因果とは何で、本当に「有名な浮世絵師」の少年時代なのでしょうか。
利発で頭の回転がよく才能溢れる謎の少年・唐丸ドラマ「べらぼう」初回の「明和の大火」のシーン。
燃え上がる炎をうつろな目で見つめ立ちすくんでいた少年を蔦重が見つけ、手を引っ張って助け出します。火事の衝撃のせいか、自分の名前も両親の存在も覚えていない様子の少年を蔦重は面倒をみることになりました。
蔦重は、その少年に「唐丸(からまる)」と名付けます。
実は、蔦屋重三郎の本名は「柯理(からまる)」。7歳のときに喜多川氏の養子となり「喜多川柯理(きたがわからまる)」となったのでした。自分の幼少期の名前を付けるとは、その少年に何か縁や特別なものを感じたのかも知れません。
唐丸はあの有名な浮世絵師の少年時代なのか!?すでにこの段階で、「この少年は何者?」「ひょっとして蔦重が将来プロデュースすることになるクリエーターか?」という推測がネットで飛び交うことに。
というのも、お江戸の名プロデューサー蔦重が世の中に送り出し現代でも有名なベストセラー作家や浮世絵師のなかには、出自や生まれなどがよくわからない人がいるからです
大胆な構図の美人画で有名な「喜多川歌麿」例えば、蔦重がその才能を見出したのが、若手でまだまだ世に知られていない浮世絵師だった「喜多川歌麿」(きたがわうたまろ)。
歌麿は、生まれた年・出身地・出身地・家族に関しては諸説ありますが、確実なところは不明です。
浮世絵史上最大のミステリー「東洲斎写楽」さらに、「浮世絵史上最大のミステリー」「謎の絵師」と名高い「東洲斎写楽」(とうしゅうさいしゃらく)。
蔦重の元で、歌舞伎役者の半身像を描いた「大首絵」を28図一挙に出版デビューを果たしつつ、短い活動期間のうちに大量の作品を残し姿を消した謎の人物です。
のちに大ヒット作品を輩出する「葛飾北斎」そして、流行作家「滝沢馬琴」(たきざわばきん)が書いた文芸作品の挿絵を描かせた葛飾北斎。
このコンビは次々とヒット作を出すことになりますが、この2人を引き合わせたのは蔦重でした。葛飾北斎の出自を伝える確たる資料は見つかってないそうです。
弥次さん・喜多さんで知られる「十返舎一九」また、『東海道中膝栗毛』(とうかいどうちゅうひざくりげ)の作者で、戯作者・絵師の「十返舎一九」(じっぺんしゃいっく)は、現静岡県で下級武士の家に生まれたという説がありますが、親が誰だったのかは不明。蔦重の居候となり、黄表紙作品を発表しました。
「頭がよくて絵の才能がある唐丸は、大きくなって有名な絵師になるはず」という推測の中でも、今のところ多いのは「歌麿」「写楽」説のようです。
蔦重を兄のように慕っていた謎の少年・唐丸ドラマでの唐丸は、自分の面倒を見てくれる蔦重を非常に慕っている姿がよくみられます。困難に巻き込まれ苦悩する蔦重を心配そうに見つめたり、本作りに奮闘する蔦重を尊敬の目で見つめたり。
兄のように親のように想っているのが表情から伝わってきます。
そんな唐丸が「この子は絶対に将来は浮世絵師になる!」と誰もが確信を持つようになったのが第4話の「『雛形若菜』の甘い罠」でした。
【後編】に続きます。
『雛形若菜の初模様』「たまや内 しづか」(1775年/礒田湖龍斎画
トップ画像(右):大河ドラマ「べらぼう」公式サイトより
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