大河ドラマ『べらぼう』蔦屋重三郎が絵の才能に惚れた少年唐丸!正体はあの有名浮世絵師!?【後編】
NHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」の初回で、「明和の大火」のときに蔦屋重三郎(横浜横浜流星)が助けて以来、面倒をみることになった少年・唐丸(渡邉斗翔/わたなべとわ)。
ドラマの回数を重ねるごとに人気がでて「実は、唐丸は将来、蔦重が世の中に送り出し有名な浮世絵師になるのではないか?」という推測が、ネットやSNSで話題になっています。
2月2日(日)第5回の「蔦に唐丸因果の蔓」では、唐丸に衝撃的な事件が起こり、ますます「唐丸は誰なのか」という話題が盛り上がっているようです。
大河ドラマ『べらぼう』蔦重が絵の才能に惚れた少年唐丸!正体はあの有名浮世絵師!?【前編】【前編】では「将来の唐丸では?」と囁かれている、蔦重と関わりがありなおかつ出自が不明な浮世絵師たちに触れました。【後編】ではその可能性をさらにご紹介します。
湖龍斎の画をそっくりに模写できた才能「べらぼう」の第4話 「『雛形若菜』の甘い罠」では、唐丸が優れた才能を持っていることが判明しました。
吉原の花魁たちを描いた錦絵『雛形若菜の初模様』作りを、「美人画」を得意とする浮世絵師「礒田湖龍斎」(いそだこりゅうさい/鉄拳)に依頼し請け負ってもらった蔦重。
ところが、出来上がった絵が水浸しになるというアクシデントが!
唐丸は「自分に絵を直させてほしい」といい、水浸しになった絵を見ながら同じように描き直したのでした。出来栄えは上々。完成した絵を見ても湖龍斎本人が気付かないほどそっくりだったのです。
唐丸のなみなみならぬ優れた才能に感激した蔦重は、唐丸を抱きしめ「当代一の絵師にしてやる」といいます。戸惑う唐丸でしたが「そんなこと言われたの初めてだから」と喜びます。
もしかしたら、この時蔦重は唐丸のセリフで「本当は過去の記憶があるのでは?」と思ったかも知れません。
礒田湖龍斎は、華奢で控えめな美女ではなく、のびやかな肢体を持つ成熟した重厚感のある現実味溢れる「美人画」を巧みに描くのが得意な浮世絵師です。
ドラマでは、躊躇なく筆を運びそっくりに模写する唐丸の姿に「やはり将来は有名な浮世絵師になるに違いない!」と確信した人は多かったでしょう。
悪党と無理心中を図った唐丸は何処にところが、先日の第5話「蔦に唐丸因果の蔓」で、唐丸の過去を知る浪人が「蔦屋」の店を訪れ、唐丸に店から金を盗むように脅します。
何度か浪人にゆすられていた様子の唐丸は、もっと金をよこせと浪人に脅され断るものの、「過去をばらしたらお前は死罪になる。お前を匿った蔦重や次郎兵衛(蔦重の義兄/中村蒼)も死罪・遠島、累が及ぶ」とさらに脅されてしまいます。
これ以上蔦屋に迷惑はかけられないと思い悩む唐丸。悩んでいる様子の彼に「隠していることはないか」蔦重が優しく尋ねるも「何もない」と答える唐丸でしたが、翌朝、店の銭箱ごと姿を消してしまいます。
そして待ち合わせの川のほとりにいた浪人に渡します。
唐丸は「もう蔦屋には戻れない」と浪人が銭箱に夢中になっている隙をついて抱きつき、浪人とともに冬の川へ落ちていったのでした。
恩義があり将来の夢を見させてくれた大好きな蔦重に絶対に迷惑はかけたくなかったのでしょう。
大好きな蔦屋を守り、忘れたい過去と亡霊のように絡みついてくる蔓である浪人を消すため、自分の命を賭けた無理心中でもありました。
夜、浪人の水死体が見つかり、盗人の一味だったとわかります。吉原では「唐丸が悪党の手先だった」という噂が広がってしまいます。
もう唐丸はこの世にいないと嘆く蔦重に、「いいほうに考えよう」と叱咤激励する幼馴染の花の井花魁(小芝風花)。
「いつか唐丸が戻ってきたら、一流の絵師として売り出す」と改めて誓い九郎助稲荷に祈るのでした。
唐丸は生きていて蔦重と再会し有名な浮世絵師になる説SNSでは唐丸は「やはり記憶喪失ではなかった。蔦重は察していた」という声とともに、「唐丸はまだ死んでいない!」という声が溢れました。
「唐丸は絶対に生きていて、のちの歌麿(染谷健太)になる」「生きていて写楽として登場する」「蔦重が唐丸を絵師にするなら『最初は鈴木春信風に描かせて次は北尾重政風に描かせて…』などと語ってたからいろんな流派の絵を学んだ葛飾北斎か」などといろいろな説がでています。
喜多川歌麿は、生年、出生地、出身地などは不明。
女性の髪の生え際や髷などの複雑な描写や、眉・目・鼻・口などの細かな描写がリアルでいきいきした美人大首絵が有名です。
美人画の代表作には、「婦人相学十躰 ポッピンを吹く娘」「当時三美人」「江戸高名美人」などがあります。
東洲斎 写楽も同じく正体不明。特徴的な「役者絵」(歌舞伎絵)で一世を風靡した浮世絵師です。
約10か月の短い期間に大判の大首絵(おおくびえ:人物の胸から上を大きく描いた浮世絵版画)で、役者の顔付きをデフォルメした作風で有名になりました。
短い活動期間の後、忽然と姿を消した謎の絵師です。
葛飾北斎は、斬新な構図と色使いで、日本の伝統的な美術様式を踏襲しながら西洋の影響を取り入れた独自のスタイルを確立した浮世絵師です。
生まれたのは1760年で江戸の本所割下水に生まれた生粋の江戸っ子らしいのですが、幼少期のことは不明です。「冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏」は現在でも世界的に有名です。
いずれの絵師も出自が不明であることから「史実に基づいて年齢を推測しつつ事実を探る」というよりも、ドラマの中の蔦重のセリフや唐丸の筆さばきなど、細かいところから推理して楽しんでいる説が多い様子です。
今のところ、有力なのは歌麿と写楽。
当初、年齢差や背景などから写楽説がかなり有力だったのですが、最近は蔦重の幼少期の本名が「喜多川柯理(きたがわからまる)」だったこと、今後登場する喜多川歌麿を演じるのが染谷将太で、子供時代の唐丸と面差しが似ていることなどから、歌麿説も高まっているようです。
いずれにしても、名プロデューサーの蔦重が唐丸に言った「お前を江戸一の浮世絵師にしてやる」という壮大な前フリが、このまま回収されず終わってしまうとは考えにくいもの。
あの優れた絵の才能をいかし、晴れて浮世絵師として再登場して欲しいものです。
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