便利であることは、自由であることではない。神尾楓珠と桜田ひよりが見つけた「不便の美学」 (1/4ページ)

取材・文:ミクニシオリ 撮影:渡会春加 編集:杉田穂南/マイナビウーマン編集部
SNSにマッチングアプリ。数十年前と比べて、出会いの形は一気にユビキタス化し、どこにいても環境の遠い誰かと話したり、知り合ったりすることが容易になりました。その一方で、若者の「恋愛離れ」は社会問題化しつつあります。
「便利な世の中にも、不自由さはあるよね」
そう語ってくれたのは、映画『大きな玉ねぎの下で』でW主演を務めた神尾楓珠さん、そして桜田ひよりさん。令和時代を生きる現役学生と、平成初期を生きた親世代の青春時代を行き来しながら進むストーリーを演じる中で、彼らが感じたのは「不自由だった時代の自由さ」でした。
■不便さこそ、運命の恋を演出してくれる
『大きな玉ねぎの下で』は、1980年後期〜90年代に一斉を風靡したロックバンド・爆風スランプが、1989年にリリースした曲でもあります。まだ会ったことがない、ペンフレンドの2人の恋模様を描いた曲にインスピレーションを受けて、お互いに「顔を知らない」2人が出会い、恋に落ちていく様子を描くヒューマンラブストーリーとして、映画『大きな玉ねぎの下で』が誕生しました。
神尾さんが演じた丈流(たける)は、就職活動に苦戦中のちょっぴり意地っ張りな大学生。一方、桜田さんが演じた美優(みゆう)は、現実的で真面目ながらも、恋には不器用な看護学生。同じバイト先ではありながら、昼のシフトと夜のシフトで、顔を合わせることはなく、職場のノートを通してお互いに惹かれ合っていきます。
1999年生まれの神尾さん、2002年生まれの桜田さんはまさにインターネットネイティブ世代。昭和や平成中期までの文化にあまり触れることがなかった2人は、作品を通してどんなことを感じたのでしょうか。
神尾 『大きな玉ねぎの下で』は、僕たちが演じた大学生たちが過ごす令和と、文通やペンフレンドが流行った平成初期を行き来しながらストーリーが進んでいきます。僕は正直、平成にうらやましさを感じましたね。