キンキン野郎と濡れ手に粟餅…【大河べらぼう】2月9日放送の振り返り&掘り下げ解説

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キンキン野郎と濡れ手に粟餅…【大河べらぼう】2月9日放送の振り返り&掘り下げ解説

「雛形若菜」の痛手から立ち直り、本屋の暖簾分けを目指す蔦屋重三郎(横浜流星)は、にっくき?鱗形屋孫兵衛(片岡愛之助)に奉公します。

かつて孫兵衛の祖父が江戸で流行らせた青本を蘇らせようと知恵を絞っている最中、重版(偽板)事件で奉行所の手が入ってしまいました。

大河ドラマ「べらぼう」公式ホームページより ©NHK

これで孫兵衛にとって代われる……まさに「濡れ手に粟餅」な蔦重でしたが、その胸中は複雑だったことでしょう。

それではNHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」第6回放送「鱗剥がれた『節用集』」今週も気になるトピックを振り返っていきたいと思います。

キンキン野郎の疫病本多(髷)

本多髷の男たち。礒田湖龍斎筆

見た目はキンキン、でもあちらの方は……NHKもなかなか攻めるようになって来ましたね。

粋にキメてるようで実に野暮ったいキンキン野郎、おおかた田舎の成金が通人ぶりたくなったのでしょう。

そんなキンキン野郎の頭にチョンと乗っていたのは疫病本多(えきびょうほんだ)。いわゆる本多髷(ほんだまげ、ほんだわげ)の一つで、病人のように見えたからその名がついたようです。

元々は豪傑・本多忠勝の髷から来ている本多髷なのに、イメージがちぐはぐにも思えますが……。

本多髷とは月代(さかやき)を広く剃って毛量を減らし、鬢(びん。側頭部の髪)は油をつけず、櫛目をしっかり通します。

それから髱(つと・たぼ。後頭部の髪)は油を少々、細い髷を高くまっすぐ結い上げてから、鋭角に曲げて出来上がり。

このヘアスタイルは明和~安永年間(1764~1781年)に流行ったそうですが、好みはいささか分かれるのではないでしょうか。

赤本・青本から黄表紙へ

黄表紙の先駆者となった恋川春町(酒上不埒)。『吾妻曲狂歌文庫』より

子供向けの赤本に対して、大人向けの青本。劇中でもつまらないと言われていましたが、筋書きやセンスが陳腐化していたようです。

ところで、この赤本とか青本には、どのような違いがあったのでしょうか。

当時こうした庶民向けの娯楽書籍は絵草紙(えぞうし)または草双紙(くさぞうし)などと呼ばれ、ジャンルごとに色分けされていたと言います。

赤本:主に子供向けの御伽噺など

青本:主に演劇や勧化、通俗演義など

勧化(ごんげ)とは仏教的な教訓、通俗演義とは歴史読み物的な意味です。

ちなみに青本と言いますが実際には萌黄色が多く、次第に色あせて黄色(藁色)になっていきました。

また青本の中でも黒本と呼ばれるジャンルがあります。

こちらは忠義や仇討ちなど武士道的な作品が取り上げられています。硬派な印象ですね。

庶民の娯楽として普及したこれらの絵草紙ですが、どれも浮世離れしていたため、次第に飽きられてしまいました。

令和の現代に喩えれば、コテコテの時代劇や昔話を喜んで視聴する大人が少ないようなものでしょう。

この状況を打破しようと試みられたのが、恋川春町(こいこわ はるまち)の『金々先生栄花夢(きんきんせんせいえいがのゆめ)』。現実世界をモチーフに、知的でナンセンスな笑いを描きました。

これがヒットを飛ばし、後に黄表紙と呼ばれる新ジャンルを打ち立てたのです。

恋川春町『金々先生栄花夢』とは?

恋川春町『金々先生栄花夢』より。

劇中で蔦重と鱗の旦那が打ち合わせていた新しい物語。手代の源四郎という名前にピンと来た方もいるのではないでしょうか。そんな『金々先生栄花夢』の筋書きは概ね以下の通りです。

主人公の金村屋金兵衛(かなむらや きんべゑ)は、立身出世を夢見て江戸に旅立ちました。

道中の粟餅屋で餅を注文し、餅が蒸し上がるまでついうたた寝してしまいます。

その夢の中で莫大な財産を譲り受けたところ、悪い遊びを覚えて放蕩三昧を尽くしました。

気前のよい金兵衛をみんな歓迎し、金々先生などとおだてますが、それは金兵衛の金が目当て。誰も金兵衛自身を見てなんかいません。

金兵衛はその虚しさを紛らわすようにますます散財し、みるみる財産は失われていきました。

いよいよ家運が傾くとなるや、金兵衛は手代の源四郎に裏切られ、勘当されてしまいます。

金の切れ目が縁の切れ目、誰からも相手にされなくなり、途方に暮れたところで目が覚めた金兵衛。

聞けば注文した粟餅が蒸し上がったとのこと。ずいぶん長い時間が過ぎていたと思ったら、そのくらいしか経っていなかったのです。

まぁ人生とは実に色んな意味で儚いものだ……そんな教訓が込められていました。

ちなみにこのストーリーには元ネタがあり、唐代の伝奇小説『枕中記(ちんちゅうき)』に同じような物語が収録されています。

四字熟語の「黄粱一炊(こうりょういっすい)」「邯鄲之夢(かんたんのゆめ)」「盧生之夢(ろせいのゆめ)」「一炊之夢(いっすいのゆめ)」などの元となり、いずれも世の儚さと人間の浅ましさを後世につたえました。

そう言えば、本作のサブタイトルも~蔦重栄華乃夢噺~。この辺りから、着想を得たのかも知れませんね。

鱗剥がれた『節用集』重版事件

村上伊兵衛『宝暦新撰早引節用集』望月文庫(東京学芸大学附属図書館)蔵

安永4年(1775年)に恋川春町『金々先生栄花夢』を刊行し、黄表紙ジャンルのパイオニアとなった鱗の旦那。しかし手代の徳兵衛が『節用集』の重版に手を染めてしまいます。

大阪の柏原屋与左衛門と村上伊兵衛が板株(版権)を持っていた『早引節用集』をパクって『新増節用集』と銘打ち売り出していました。

劇中で「摺り損じを屑買いに出すより、厠の紙にした方が得だ」と言っていたのは、屑買い(リサイクル業者)へ摺り損じを出して発覚するのを恐れていたのです。

実際のところ、摺り損じを屑買いに出した金額と厠の紙を別に買うのと、比べてみたいですね。

この重版(偽板)事件によって版木もろもろは押収され、訴訟の結果きつい判決が下されました。

・徳兵衛:家財欠所(全財産没収)&江戸十里四方の所払い(江戸城から半径20キロ圏内から追放)

・孫兵衛:急度叱(厳重注意)&過料鳥目20貫文(罰金刑)

さらに旗本某家に仕える用人が主君の重宝を質入れ。孫兵衛がこれを仲介したことが発覚し、江戸所払いとなってしまいます。

孫兵衛が江戸に戻ることを赦されたのは安永10年(1781年)頃。もはやかつての勢いはなく、かつて膝を屈せしめた蔦重の下風に立たされるのでした。

第7回放送「好機到来『籬(まがき)の花』」

蔦重(横浜流星)は今の倍売れる細見を作れば、地本問屋仲間に参入できる約束を取り付ける。しかし西村屋(西村まさ彦)と小泉忠五郎(芹澤興人)が反発し、阻もうとする。

※NHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」公式サイトより。

目を輝かせながら青本の復活を語り合った鱗の旦那を出し抜き、地本問屋への道を一歩進んだ蔦重。しかし西村屋と小泉忠五郎がこれを許しません。

今の倍売れる吉原細見を作り出すにはどうすれば……次週のサブタイトル吉原細見『籬(まがき)の花』には、どんな工夫がなされているのでしょうか。

そして鱗の旦那と語り合った「キンキン野郎の物語(たぶん『金々先生栄花夢』)」は完成するのでしょうか。

悩みながらも着実に努力と前進を続ける姿を、これからも応援していきたいですね!

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