奇こそ我らの誉!江戸時代、尊王論と海防論の先駆者となった「寛政の三奇人」を紹介 (2/4ページ)
それでも諦めずに写本を作りますが、最終的には仙台へ強制的に戻され、謹慎処分を受けます。
その後、寛政5年(1739)に56歳で亡くなります。
子平が説いた海防の必要性は幕末になってようやく理解され、台場の砲台の設置に一役買い、幕末海防論の起点となりました。
吉田松陰に影響を与えた尊王家、高山彦九郎
2人目は尊王思想家の高山彦九郎です。
高山彦三郎:wikipediaより
彦九郎は延享4年(1747)に産まれました。
次男だったので自由気ままに過ごしていた13歳の時に『太平記』を読んだことがきっかけで勤王思想に目覚め、18歳の時に家を飛び出します。
全国を練り歩いて勤王論を説いて周りました。その途中で林子平や上杉鷹山などと交友関係を持ち、名を知らしめていました。
京都では光格天皇に会う機会を得られ、彦九郎はこの感動を歌に残します。
そして、天皇家と幕府間で起こった尊号一件(光格天皇の父・閑院宮典仁親王に上皇の位を授けようとしたが幕府が反対した事件)に首を突っ込んでしまい、公家の中山愛親(なかやまなるちか)と仲が良かった彦九郎も幕府に目をつけられてしまいます。