奇こそ我らの誉!江戸時代、尊王論と海防論の先駆者となった「寛政の三奇人」を紹介 (3/4ページ)

Japaaan

寛政3年(1791)に九州にいた彦九郎は捕らえられしまい、寛政5年(1793)に46歳で自刃します。

彦九郎の尊王論は吉田松陰をはじめ多くの幕末志士たちに影響を与えました。

前方後円墳の生みの親、蒲生君平

最後は儒学者、尊王論者、さらに海防論者でもある蒲生君平です。

蒲生君平:wikipediaより

君平は明和5年(1768)に産まれました。

先祖は戦国武将の蒲生氏郷と聞いた幼い頃の君平は先祖の名に恥じないように勉学に励みました。

熱心に勉学に励み過ぎて川の氾濫で橋が流されても着物と書物を頭の上に乗せ褌で塾まで通うことまでしたので周囲からは狂人と揶揄されていました。

君平はこの頃、『太平記』を読んだことと水戸の勤王志士、藤田幽谷の影響を受けたことで勤王思想に目覚めます。

寛政2年(1790)には彦九郎を慕って仙台城下にいる子平に会いに行きました。子平は君平の粗末な恰好を見るや「その恰好は何だ」と笑いました。

これに怒った君平は「礼儀の知らない爺が思い上がるな」と言って帰ってそうです。

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