戦国時代、最も落城回数が多かったのは織田信長の居城だった「岐阜城」!名城はなぜ頻繁に落城したのか? (2/3ページ)

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しかし、だからと言ってこの城が特段弱いとも言えません

落城した回数が多いのは、いくつかの特殊な要因ゆえのことです。以下でいくつか挙げましょう。

まず、全体的に平地が少ないことが挙げられます。岐阜城は急峻な山頂にありますが、山頂付近にしか平地がなく、しかもその平地も狭いのです。

よって多くの兵が立て篭もることができないうえに、物資も多く保管できない環境でした。

金華山と岐阜市内周辺の風景

また、物資のみならず水の補給についても問題がありました。岐阜城には水が湧く井戸がないのです。

代わりに、雨水を貯めたと思われる窪地がありますが、これでは雨が降らない時期は長く立て篭もることができません。

また、かつて信長の城であったため、安土桃山時代に大名になった織豊系の武将の多くは土地勘がありました。落とすための弱点なども知っており、戦略が立てやすかったのです。

落城の理由②狙われやすかった

他にも、岐阜城が落城しやすかった理由としてターゲットにされやすかったということも外せません。

これは城の直接的な防御力には関係ありせんが、岐阜の周辺は交通の要衝でした。そのため交通の安全を確保するためには必ず落とすか無力化する必要があったのです。

そのため、付近を通る軍勢に狙われることも多くありました。

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