ライト兄弟より先に飛行機を発明!?日本の航空技術を切り拓いた二宮忠八の功績【前編】 (2/3ページ)

Japaaan

空に散った全ての人を祀る京都・八幡の飛行神社

少年時代 ― 空への憧れと発明家としての芽生え

1866年、愛媛県八幡浜市に生まれた二宮忠八。幼い頃、家は裕福でしたが、父の死や兄たちの放蕩、事業の失敗で困窮し、忠八は雑貨店や薬屋で働きながら家計を支えました。それでも夜な夜な物理学や化学の本を読み、発明への情熱を燃やしていきます。

凧作り にも夢中になり、自ら考案した「忠八凧」を販売するなど、発明への第一歩を踏み出しました。また、錦絵に描かれた気球 に強く憧れ、「気球付きの凧」を作るなど空への夢は膨らむばかりでした。

カラスの滑空から着想を得た「飛行器」

1887年、忠八は 香川県丸亀歩兵第12連隊 に徴兵されます。ある日、野外演習中に カラスが羽ばたかず滑空する姿 を目にし、「固定翼を使えば人間も空を飛べるのではないか」と閃きます。これが「固定翼飛行機」発明のきっかけとなりました。

1889年、忠八は 「烏型飛行器(からすがたひこうき)」 を製作。陸軍病院勤務の際に 聴診器のゴム管 を流用し、ゴム動力でプロペラを回す推進式の 模型飛行器 を完成させました。 1891年4月29日長さ45cm、翼幅30cmの模型3mの滑走後、約10mの飛行に成功

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