ライト兄弟より先に飛行機を発明!?日本の航空技術を切り拓いた二宮忠八の功績【前編】 (3/3ページ)
日本初のプロペラ飛行実験となり、翌日には36mの飛行を記録しました。
有人飛行を目指した「玉虫型飛行器」と軍の冷たい反応1893年、忠八は有人飛行を想定した「玉虫型飛行器」を設計します。これは無尾翼の複葉機で、下の翼が操縦翼面 として機能する先進的な設計でした。縮小模型(翼幅約2m)を製作し、さらなる飛行実験を重ねます。
忠八は 日清戦争 に従軍中、「飛行器が戦場で偵察や観測に役立つ」と考え、参謀・長岡外史大佐 や 大島義昌旅団長 に軍事利用を三度上申しますが、「今は戦時中である。本当に飛んだら聞いてやろう」と一蹴されます。失望した忠八は 陸軍を退役 し、資金を自力で調達しながら独力で研究を続ける道を選びました。
しかし、当時の日本では、 莫大な資金 が必要な飛行機開発を個人が行うのは非常に困難で、忠八は夢を一時断念することになります。
次回の【後編】に続きます
参考文献
生駒忠一郎『二宮忠八・伝 世界の飛行機発明の先駆者』(2002 KTC中央出版) 上山明博「飛行機の父、二宮忠八」『<朝日選書> ニッポン天才伝─知られざる発明・発見の父たち』(2007 朝日新聞社) 木立順一『日本偉人伝 利他の心の文化が生んだ世界に誇る人物』(2014 メディアポート)日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan