戦国武将・織田信長は本当に”革命児”だったのか? 最新研究でわかった信長の本当の姿 (2/4ページ)
織田信長の残虐性を表す逸話「比叡山焼き討ち」実はそんなに酷い被害を被ったわけではなかった?
しかし、近年の発掘調査では、比叡山の主要な建物が焼失を免れていた可能性が高いことがわかっています。もし信長が徹底的に延暦寺を焼き尽くしたのであれば、山全体が廃墟になっているはずですが、そうではありませんでした。
全てを焼き払ったという説は、後世に誇張された可能性が高いと考えられています。
確かに信長は比叡山の僧兵勢力を排除するために武力を行使しましたが、その目的は純粋な破壊ではなく、政治的な勢力の整理だったのです。この件が特別に残酷だったというよりも、戦国時代の武将として「合理的な判断」を下した結果と見ることができます。
長篠の戦い―鉄砲三段撃ちは本当か?次に、信長の革新性を語る上で欠かせないのが1575年の長篠の戦いです。この戦いでは、武田軍に対して信長が大量の鉄砲隊を配置し、従来の戦術を変えたと言われています。
