古代の天皇家に王朝交代はあったのか?天皇の「万世一系」をくつがえす衝撃の学説【前編】 (3/3ページ)
この崇神天皇は名をミマキイリヒコといいますが、「ミマキ」の「キ」は「城」の意味で、ミマキは「任那の王」の意味だともいわれます。
応神天皇は崇神天皇より5代あとの天皇で、この2人の天皇と任那との関係は『日本書紀』に記されています。
崇神56年の条には任那国が蘇那曷叱知を遣わして朝貢したとあり、応神16年の条には、新羅を討つために加羅(任那)に精兵を派遣したとあります。
これを騎馬民族征服王朝説の説くところと重ね合わせると、なるほどつじつまは合います。
しかし、騎馬民族征服王朝説は古代史学界をはじめ日本国民にも衝撃を与えましたが、専門家や研究者からの反論・異論も多くあり、支持は広がりませんでした。
騎馬民族征服王朝説はのちの学説に大きな影響を与えましたが、そのうちの1つが、1954年に提唱された早稲田大学名誉教授・水野祐の「三王朝交替説」です。
これによると、古代の王朝は「古王朝」「中王朝」「新王朝」の順に交替したということです。
古王朝は4世紀初めから末頃までの王朝で、崇神・垂仁・景行・成務・仲哀天皇(記紀では第1~14代)の時代。
次に中王朝は5世紀の王朝で、応神・仁徳・履中・反正・允恭・安康・雄略・清寧・顕宗・仁賢・武烈(記紀では第15~25代)の時代。
そして、最後の新王朝が継体天皇(記紀では第26代)に始まる王朝です。少し専門的になりますが、【後編】ではこの説についてさらに詳しく見ていきましょう。
参考資料:
日本歴史楽会『あなたの歴史知識はもう古い! 変わる日本史』宝島社 (2014/8/20)
画像:photoAC,Wikipedia
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