天皇の「万世一系」をくつがえす衝撃の学説!古代の天皇家に王朝交代はあったのか?【後編】 (2/3ページ)
また、古王朝(三輪王朝)から中王朝(河内王朝)への王朝交替を認めず、両王朝は連続した政権だったという説も存在します。
共通しているのは、王朝交替説によれば歴代天皇は万世一系ではなく、王朝は古王朝から始まり、2回交替しているという点です。つまり、最後の新王朝(継体王朝)こそが、その後の天皇の祖先と考えられるわけですね。
もちろん、『日本書紀』にはそんなことは記されていません。それでは、継体天皇がどんな経緯で即位したのか見てみましょう。
継体天皇即位の経緯第25代の武烈天皇は子どもをもうけることなく崩御してしまったので、大伴金村らの群臣が後継者を協議しました。
最初に選ばれたのは第14代の仲哀天皇の五世の孫(五世代あとの孫)・倭彦王でしたが、迎えにきた群臣らの威儀を整えた列を見て、倭彦王は逃げてしまいました。
次に選ばれたのが、継体天皇こと男大迹王です。
男大迹王の父・彦主人王は応神天皇の子孫で近江国(滋賀県)にいました。そこで越の国(福井県)の振媛を娶り、男大迹王をもうけました。
彦主人王が亡くなったあと、振媛は男大迹王を連れて郷里に帰っていたので、金村らは越の国まで迎えに行きました。