実は勘違いによる暴走!?江戸時代「大塩平八郎の乱」は正義どころか民衆にとって大迷惑の災害だった【後編】 (2/4ページ)
そうした状況を打破するために大塩平八郎一派は蜂起したわけですが、彼らの放った火は3日間燃え続け、大坂市中の5分の1にあたる1万8000軒余が焼失しました。
さらに、当時の大坂の人口約36万人のうち約7万人が焼け出され、少なくとも270人が焼死したとされます。
乱後には疫病も流行し、別の文献には「六月中、千日の墓所にて毎日五、六十人を焼き」とも記されています。
それに加えて、大塩らは率先して富商の屋敷に火を付けたため、乱後の大坂では米価が高騰し、前年の倍近くになったのです。
庶民にとっては踏んだり蹴ったり、泣きっ面に蜂、弱り目に祟り目という状況だったはずです。
一体、この人たちは何がしたかったんだと思わず突っ込みたくなりますね。
庶民視点での評価愛知淑徳大の荻原大地助教(近世文学)によると、出版統制下に流布した『近世実録』の中には、大塩の乱を「赤眉黄巾の乱の賊に似たり」と中国・漢代の反乱になぞらえた一文があります。
