幕末志士・高杉晋作の生き様。彼の行動力と信念は、日本の歴史を大きく動かした (2/4ページ)
友人を処刑場に連れて行って、自分だけが平然と食事をするなど、普通の人とは違う行動をしていました。
晋作の父、小忠太は長州藩の重要な役職をいくつもこなした真面目な武士でした。彼は息子が学問をし、立派な藩士になることを願っていました。しかし、晋作が吉田松陰の影響を受け、過激な行動を取るようになると、たびたび叱りました。
そして、ついには家の存続を守るため、晋作を家から外し、新しい養子を迎える決断をしました。
晋作は長州藩の学校で勉強しましたが、途中で松下村塾に入りました。ここで久坂玄瑞、吉田稔麿、入江九一とともに「松下村塾四天王」と呼ばれるほどになります。しかし、性格が強すぎて周りの塾生には嫌われていました。それでも、吉田松陰は「晋作の強い性格こそが大事業を成す力になる」と評価しました。
吉田松陰が処刑されると、晋作は幕府に対する怒りを強めました。しかし、父親は息子の行動を危険視し、家の中に閉じ込めてしまいました。そこで彼は家を飛び出し江戸へ行こうとしましたが、頼った武士に「親不孝だ」と説教され、結局、強制的に家に戻されました。
その後、晋作は長崎から中国・上海へ渡りました。そこで欧米列強による植民地化の現実を目の当たりにし、「日本もこのままでは外国に支配される」と強い危機感を持ちました。この経験が、彼の考え方を大きく変えるきっかけになりました。
帰国後、晋作は身分に関係なく兵士を募集する「奇兵隊」を作りました。