幕末志士・高杉晋作の生き様。彼の行動力と信念は、日本の歴史を大きく動かした (3/4ページ)

Japaaan


※関連記事↓ あまりにもブラックすぎ…身分差別や強制入隊、突然のクビ…美化されすぎた「奇兵隊」の真実

これは、日本の軍隊の歴史において大きな転換点でした。しかし、武士と農民の対立が激しくなり、内部で争いが起きたため、彼はわずか3か月でリーダーを解任されてしまいました。

その後は、藩命により京都へ向かいますが、京都で活動していたとき、藩の勘違いで「職務を放棄した」と思われ、牢屋に入れられてしまいました。最終的に父の助けで釈放されましたが、そのとき彼は「どうしてこんなに頑張っているのに、何もうまくいかないんだ」と涙を流したといいます。

しかし、晋作は決してあきらめませんでした。幕府との戦いでは、少人数の兵を率いて電光石火の攻撃を仕掛け、戦況を一気に変えることに成功しました。特に小倉戦争では、たった1000人の兵で2万人の幕府軍を相手にし、勝利を収めました。この戦いで彼の名は一気に広まりました。

しかし、そんな晋作も病には勝てませんでした。彼は結核を患い、戦場でも血を吐くことがありました。そして、明治維新を目前にして、29歳という若さで亡くなりました。彼の最後の言葉として知られているのが

「面白きことのなき世を面白く 住みなすものは心なりけり」

です。これは、「どんなにつまらない世の中でも、自分の心持ち次第で楽しく生きられる」という意味がこめられています。

晋作の死後、父の小忠太は彼の子供を教育し、家を守るために尽力しました。そして東京に移り住み、78歳で亡くなりました。

高杉晋作の人生は、失敗と不運に満ちていました。しかし、彼の行動力と信念は、日本の歴史を大きく動かしました。

「幕末志士・高杉晋作の生き様。彼の行動力と信念は、日本の歴史を大きく動かした」のページです。デイリーニュースオンラインは、明治維新高杉晋作幕末江戸時代カルチャーなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る