死を隠した3年間、実はバレバレだった影武者…戦国時代の名将・武田信玄の伝説の真相をあばく (2/3ページ)
映画やテレビドラマでは、騎馬武者たちが颯爽と登場し、怒濤のごとく押し寄せて次々と波状攻撃をかける迫力満点の姿が描かれています。
しかし、近年ではこのイメージに疑問が投げかけられているのです。
実は、戦国時代の馬は小型で、背に人を乗せて縦横無尽に駆け巡ることは難しかったとされています。日本で大型馬が登場するのは明治時代以降のことなのです。
実際、『甲陽軍鑑』によると武田軍1000人のうち馬に乗ったのは7、8人程度で、残りは馬を後ろに引いて槍で戦ったそうです。
騎乗した武者も疾風のごとく突入するのではなく、馬上から徒歩の兵士を指揮する役割だったとか。騎馬軍団というよりは馬を使ったサポート隊といった感じですね。
死を隠した3年間の真相さて、武田信玄は1573年、信濃国伊那の駒場で亡くなりました。
死に臨んで子の勝頼に「3年間、喪を秘し、領内の備えを固めたら、必ず都へ攻め上れ」と遺言したと言います。自分の死が知れ渡れば他の大名が攻めてくるのを恐れたのでしょう。
勝頼はこの遺言を守り、信玄を隠居扱いにして生存しているかのように振る舞いました。
そして3年後、恵林寺で盛大な葬儀を行い埋葬します。その間に小田原城主・北条氏政が使者を送って様子を伺いましたが、勝頼は影武者を使って危機を脱したとされています。