信仰より生存を選ぶも妻子は処刑…「島原の乱」唯一の生存者・山田右衛門作の壮絶な裏切りの記録【前編】 (3/4ページ)

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イメージ(メトロポリタン美術館蔵 Public Domain)

右衛門作は、何故生き残ることができたのでしょうか。今回は、その後の右衛門作の人生についても併せて観ていくことにしましょう。

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山田右衛門作(生没年不詳)は、江戸時代初期の南蛮絵師(洋画家)であり、幼少期にポルトガル人から西洋画法を学びました。その後、有馬直純・松倉重政・松倉勝家らに仕え、彼らの庇護のもとで活動しました。

彼の作品は、当時の日本における数少ない西洋画技法を取り入れたものであり、特に宗教的なモチーフを多く描いたとされています。右衛門作は、もともと口之津村の庄屋として暮らしていましたが、島原の乱が起こると、混乱の中で一揆勢に加わることを強いられました。

彼の妻子が人質に取られ、逃れるすべもなく、村人とともに原城に立てこもることになったのです。

一揆勢の中で彼は、天草四郎に次ぐ副将の役割を担い、本丸の守備を任されました。また、「天草四郎陣中旗」と呼ばれる聖旗を描いたとも伝えられています。

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