信仰より生存を選ぶも妻子は処刑…「島原の乱」唯一の生存者・山田右衛門作の壮絶な裏切りの記録【後編】 (2/3ページ)
老中・松平信綱の判断により、彼は幕府の取り調べを受けることになったのです。
江戸へ送られた右衛門作は、「山田右衛門作口書」を提出し、一揆の状況を詳しく語りました。その内容は、島原・天草の乱の貴重な記録として今に伝わっています。
その後、彼は幕府に仕え、再び絵師としての活動を始めます。しかし、皮肉なことに、彼の絵はキリシタン摘発のための踏絵として使われることになりました。
また、放火事件が相次いだ際には、「処刑される罪人の姿」を描かされ、それが市中に掲げられることで犯罪抑止の役割を果たしたといいます。
山田右衛門作は、家族を守るために戦い、信仰ではなく生存を選びました。しかし、生き残った彼の人生が幸福だったかどうかは分かりません。我々は残された記録から、彼の心情を想像するしかないのです。
彼の生涯は、歴史の中で語られることの少ない側面を映し出しています。信仰と生存、正義と裏切り…。 その狭間で揺れ動いた彼の選択は、現代の私たちにも多くのことを考えさせてくれるでしょう。